部品の修理や金物製作の会社としていわき市平童子町に創業しました。タクシーの運転手さんが、車の部品加工依頼に来てくださいました。
ガスが普及する以前、石油コンロが好まれていました。自社ブランド製品を開発しました。
すべての部品を自社にて生産して、安定した仕事受注を目指しました。販売に携わっていた祖母から、「ウニの貝焼きを作る沿岸部のおかみさんに喜ばれた」という話を聞きましたが、受注は厳しい状態だったようです。
持ち前の器用さを生かして、部品の加工や製品の開発、滑り台などの遊具、手すりなどのさまざまな金属加工に挑戦してきました。
商店会の看板の下地です。昭和33年施工。金属部品の取り付けも、高所での要素が含まれてきました。
昭和30年代の建て方風景です。軽量鉄骨なので、建てる時の自重による変形を、身近な道具で調整しながらの職人芸であったことが想像される一枚です。
温室の製作を依頼されて、かなりの件数を施工したそうです。鉄製枠を製作し、そこにガラスをはめ込み、パテで固定する。評判は良かったようなのですが、手間がかかって大変だったようです。
H型鋼がなかった時代は、アングル材などを駆使して、大スパン構造物を製作していました。たわみを取り除きながらの作業。建て方用のクレーンもなかったので、知恵を出し合いながら製作した先人の技術力に脱帽です。
クレーンがなかった時代の建て方風景です。
ワイヤ巻き上げ機を駆使して建てています。